Red Herring


それは一冊の本からの出会いでした。
私が絶版の『完全自殺マニュアル』を求め、国立図書館に向かったときのことです。
私の年齢の他の女性たちは休日にそんなものを求めず、男性とキャッキャッウフフと楽しく遊びまわるのですが、いかんせん、私は男性が怖いのです。
どうやら、意識しすぎて怖くなってしまうようなのです。ですので、私は休日毎にこのようにさながら亡霊のように本を求めて彷徨い歩くのです。

私の求める『完全自殺マニュアル』は、あまり世に出回っておりません。ですので、私のようなものがたくさん読んだのでしょう、読み垢がついた本となっておりました。
私はこの本を見つけ、やっと読むことの出来る喜びでニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべながら、窓際の一番隅っこの席に座ったのです。
私の趣味はこういった本を見つけ、読むことです。一般的に受け入れられるとは到底思っておりません。
ですので、私はいつも端っこで本を読むのです。
しかし、いくら一般受けのしない趣味とはいえ、別に暗闇が好きなわけではありません。
私は少しの”非日常”を求めているだけの、普通の人間なのです。
だから私は端っこにいながらも窓際を求めるのです。
私は図書館を渡り歩いておりまして、決して一箇所ばかりには行きません。
戦時中の反省から、閲覧記録を渡さないと図書館法で決まってはおりますが、いつなんどき、その法が覆されるかわかったものではないからです。
特に法に触れることなど致しませんが、この密かな趣味が人に暴かれるのは到底耐えられません。
ですので、私はいろいろな図書館を渡り歩きます。
ただ読む場所が窓際の隅っこである、という共通点だけなのです。
誰も私を知らないところで、誰も知らない私の趣味に没頭する。なんとも素敵なことです。
ニヤニヤと私はページを捲ります。めくるめく死の世界!今の私には到底行き着くことの出来ない場所への道しるべが次々現れます。
人によってこの本は嘘っぱちだ!と、言うこともございますが、私には嘘か真かわかりません。
ただ、そこに私の満足があればよいのです。

「君、そんな本ばっかり読んでて気持ち悪いって言われない?」

不意に、私の楽しい時間は終わりを告げました。
目の前に誰とも知らない黒い男の人がいます。目だけが赤く、服装も黒。ネットでいう、厨二と呼ばれるタイプではないでしょうか。
私はそそくさと私の愛しい本を隠し、下を向きました。
この本は今は旬ではないとはいえ、出版されてからかなり早くに絶版となったため、意外に読みたがるマニアは多いのです。
せっかく目の前に現れた私の愛しい本を、彼に横取りされては困るのです。
そして、私のことを覚えられても困るのです。私はこの密かな趣味を誰かに暴かれたくないのですから。
私がだんまりを決めこんでいれば、彼は私に興味をなくすだろうと思ったのですが、どうやらそうではなかったようです。

「この前は『親を殺した子どもたち』、だったよね。誰か殺したいの?死にたいの?」

私ははっとしてこの男の人に顔を向けてしまいました。
なぜ彼が違う図書館で読んでいた本を知っているのか、私には到底理解できなかったからです。
とりあえず、この男から逃げたい。しかし、この本は借りたくないのです。履歴を残したくないのです。
私の図書館の履歴と言えば、ハリーポッターシリーズや赤川次郎など、とても可愛らしい本しかありません。
それくらい、私は自分の趣味が人にばれないように警戒しているのです。
読みたい、しかしこの男から逃げたい。
悶々と繰り返される私の中の問いに彼は勘付いたのでしょうか。彼は、私を安心させるように人のよさそうな笑顔を私に向け、こう言いました。

「俺、こういう本読む人に興味があるんだよね。君ってば、犯罪心理学や病理学まで読んでるけど、自殺心理学とかの本も読んでるじゃない? 君が末はシリアルキラーになるのか、快楽殺人におぼれるのか、つまらない殺人者になるのか、単なる自殺者になるのか、とても興味があるんだよね。 だからさ、よかったら俺と話さない?」

「とても申し訳ありませんが、私はどれにもあてはまりません。平凡な人間なんです。日常を愛しています。ですが、 なぜそういった人たちがそうなるのか知りたくなる。ただそれだけなのです。」

私から見れば、目の前の彼のほうがよほど快楽殺人をしそうに見えます。
彼はサディスティックな人間です。そうでなければ、これほどまでに趣味の暴露におびえている私に露骨にひどいことを言うでしょうか。
私はマゾヒズムを持ち合わせていませんので、早急に立ち去って欲しい所です。
そう、私は普通の人間なのです。殺人を犯すことも親を殺すことも望んでいません。ただ、興味があるだけなのです。
私の質問が意外だったのか、失望したのか、そこらへんはよくわかりませんが、目の前の彼は瞳孔を開いて心底驚いたようでした。
そして急に笑い出したのです。本当に楽しそうにうれしそうに笑うので、私は余計気味が悪くなりました。

「君は俺とよく似てる。それなのに考え方がまるで対称的だ!あぁ、君にものすごく興味が沸いたよ。俺と君はいつ分かれてしまったんだろうね??」

それじゃあまたね、!と大きく去り行く彼を唖然と見送りました。
彼がなぜ、私の名前を知っているのかという疑問が出てきた時にはあまりの恐怖に鳥肌が立ちました。


Red Herring

彼の興味と彼女の恐怖の意味は