「なあ、なんではいつもそんな無理するん。」
「はぁ?なんで?」
 本当にわけがわかないように言う。はたぶん、オスカー女優にでもなれると思う。少なくとも、俺の中の今年の名演技賞は受賞した。

 飲み会終わりに、終電が近いとみんながバタバタ慌てだした。そんな中で「私、甘いもの買って帰りたいからみんな先に帰って!」というを一人にできないと、唯一徒歩圏の俺は一緒にコンビニに寄ることにした。思いがけず二人きりになった。そんな状況で、いつもなら絶対に踏み込まない彼女の領域に、ついに我慢できずに突っ込んでしまった。酔っていたからかもしれない。彼女は、慣れた相手には驚くほど人懐っこい笑みを浮かべる癖に、自分の心に踏み込まれることを望まない。いつだって人との距離を、普通の二倍はとっておきたいようにみえた。初対面の人にはなおさらで、だから冷たい印象を与えるのだと思う。

 初めて彼女に会った時、彼女は優等生で、大人しく、また、気高く、人を突き放す印象を持たせるようなひとだった。彼女は確かに優等生で真面目だったが、何回か会ううちに、猫はどこかへ行ったようだった。実際は大人しさのかけらもない、下ネタが大好きで、下ネタを言えば引き笑いを起こす、下品なおっさんだった。中身がおっさんゆえ、男女関係なく、年齢すらも関係なく、彼女の友人は多かった。色んな人が彼女をムードメーカーとして遊びに誘った。彼女は、馬鹿みたいにいつでも笑ってるし、彼女の笑いは世界に悲しいことがないと思わせるような、そんな笑いだった(その原因はもちろん下ネタだが)。
 だけど、彼女と数年共に過ごしてやっと気づいた。振られても、そんなこともあるよねーと笑っていた。先輩にいじめられた時も、顔が半分麻痺するぐらいのストレスを感じてたくせに笑い続けていた。顔面半分麻痺した顔で笑う姿は、いたいけなんて通り越して滑稽に近かった。もう、彼女の笑みはクセなんじゃないだろうか。
 は、嫌なことを見せないだけだ。人に言わないだけで、心で反芻するものの、人に言わずにただじっと、心に溜めているのだ。少し考えれば誰にだってわかることなのに、彼女の笑い方があまりにも自然だから、どうしても、その暗い部分に誰も目がいかないのだ。
 彼女はアンバランスな心を無理に安定させて見せているだけで、綱渡りのような状態をずっと続けて、ある日パッと破裂させるのだと気付いたのはつい最近だ。
 には友人が多い。だけど、長い友人はそれこそ数人しかいない。彼女は、耐え切れなくなればすべてを、無かったことにしているようだった。例えば、高校の友達全員と疎遠になってみたり、中学の友達全員に変えた連絡先を教えなかったり。それでも連絡を取ろうとしてくれる人とだけ、繋がっているようだった。彼女はなんだ。女王さまか何かかと思うほどわがままだ。

「自分、最初に終電なくなるくせに、なんで言わんかったん。」
 勇気が出なくて、一番言いたいことを少しだけ矛先を変えて言うのは、俺の悪い癖だ。
 は家が遠い。誰よりも遠い。終電なんてさっさとなくなる田舎からわざわざ騒ぎにやってくる馬鹿だ。みんな酔っぱらいすぎて、そして自分のことで頭がいっぱいだったから気づかなかっただけだろう。たまたま俺が終電なんて気にしなくていいから、気づいただけかもしれないし、彼女にそれとなく心を寄せているから気づいただけかもしれなかった。
「んー。ネカフェで漫画読んでもいいかなって思っただけだよ。」
 にへへと、締まりのない顔で笑う。本当は酔ってないくせに、まるで酔っているみたいだ。下戸の彼女はいつも通り一滴も酒を飲んでいない。酔うはずがない。ねぇ、そんなことより、甘いもの買いたい、とまた締まりのない顔で言う。本当に、俺が酔っているのかが酔っているのかどちらが酔ってるかわからない。

 コンビニに入ると店員がやる気のない声でいらっしゃーませーと言ってくる。すでにシンデレラの魔法が解かれる数分前の時間だ。店員の前を通り、は足早にデザートコーナーに行く。酔って熱くなった体に、冷蔵庫の冷気が気持ちいい。は真剣にデザートを選んでいるためだろうか。指がデザートの前でうろうろしている。そのふらふらする指は、なんだかいやに綺麗に見えて、ピンクのマニキュアが光を反射しててらてら光ってエロい。酔ってるせいだろうか。
「やっぱチョコレートかな。クリーム系も捨てがたい。でもお金ないからシュークリームにしようかな。白石は何するの?」
「いや、俺はええわ。水買うわ。今なら一緒にの分も買うけど。」
「いいよー。これくらい自分で買います。まだ悩みたいしね。」
 そんなことを言うと少しだけ離れて(コンビニ内だから少しもくそもないけれど)、水を二本とこっそりゴムも買っておく。男として必需品だし、あわよくば使いたい。もちろんと。そんな下心、許してもらえるだろうか。
 こっそり買ったものをかばんに潜ませても、は一向に何を買うかが決まらない。女の買い物はなんでいつもこんなに長いのか。もうこれでええやろ、とが欲しがっていたクリームの乗ったプリンを取って、何か言って来るを無視してお会計を済ませる。傍から見れば、俺たちはいちゃつくカップルに見えるに違いない。

 外を出ればひんやりとした外気が俺たちを包む。なんとなく、コンビニに入る前より寒くなった気がする。吸い込むと、予想以上の寒さにのどが凍るようで、吐く息はもちろんすぐさま白くなってどれだけ息を吐いたか教えてくれる。なんとなく寒くて、右手で彼女の手を握った。横をそろりと見ると、が驚いた表情をして俺をみつめてて、あんまりにも「驚いてます」って顔に書いてあるものだから、噴き出してしまった。
「ちょっと。白石さん、酔ってます?ねぇ、大丈夫?」
「うん、酔ってる。めっちゃ酔ってる。酔いすぎてちゃんがめっちゃかわいく見えるくらい酔ってるで。」
「それは酔ってないね。私はいつだって可愛いから!」
 はまた笑いながら、冗談を言う。手を振りほどこうとしないから、ぎゅっとの手を握って歩き出す。
「ねぇ、わたしネカフェに行きたいんですけど。こっちに無いんですけどー。」
「まぁまぁええやん。ちょっと散歩みたいな感じで。健康にええねんで、散歩は。」
「えぇー。もう寝たいのにー。」
 相変わらず笑うはまるで少女のようだ。だけど、こっちがラブホ街に続くことなんて、子供じゃないだってわかるはずだ。俺の足はの歩幅に少しだけ合わせて、だけどあまりにも軽やかな足取りだから少し彼女には早いのだろう。彼女は急ぎ足だ。彼女も俺に合わせてるなんてなんだか愉快だ。
 みたいににへへと笑いながら、いかがわしく煌めくネオン街を目指す。夜の男女の運動でもせーへん?なんて言ったら彼女はサブいと笑いながら言うだろうか。おっさんめと顔をしかめて引くだろうか。彼女は、俺の下でもずっと笑顔なんだろうか。それとも苦痛で顔を歪ませるのか、快楽で顔を赤く染めるのか。今から楽しみで仕方がない。彼女の笑顔以外がみたい。女王様はお気に召してくれるだろうか。終わった後に俺は捨てられるのだろうか。それともしつこく言い続ければ俺と一緒にずっといてくれるだろうか。
 不安と少し先の未来に起こる欲望で頭の中がいっぱいだ。
 これが果たして本物の愛なのか欲なのか。俺にはもうわからない。