隣で猫のようにまるまって寝る仁王くんは猫みたいだ。彼のまるまった背中をつーっとなぞると何かむにゃむにゃ言いながら、もぞもぞ動く。可愛い。

 私と仁王くんは、いわゆる彼氏彼女の関係ではない。ただ、こういった行為をしているだけだ。二人の間にある感情は、愛とか恋とかそういうものではないとおもう。

 私たちが初めてこういった関係になった二年生のあの日のことを、私は今でも鮮明に覚えている。
 その日、朝は快晴だった。天気予報も雨なんて言わなかったし、私ももちろん、今日も晴れ渡った空が放課後まで続くだろうと思っていた。ところが、帰るころには曇天となり、本屋さんで本を選んでる間に濃厚な雨のにおいが香り始めた。急いで帰路についても、時はすでに遅かったらしい。ぽつりぽつりと降り出したな、と思ったら、すぐさま土砂降りになった。私は、突然降り出した雨から逃げるために、走ってなんとか雨宿りできる場所を見つけた。そして、その雨宿りしたお店の軒先の前に、たまたま仁王くんが通ったのだ。もちろん、私はずぶ濡れ。可哀想に思ってくれたのか、
、そのままじゃったら風邪ひくじゃろ。良かったらうちん家来んしゃい。」
と、誘ってくれた。私は雨のにおいに酔っていたのだろうか。それとも、単に濡れた制服が気持ち悪かっただけなのだろうか。いずれにしても、馬鹿な私はほいほいと着いて行ったのだ。

 仁王くんの家は、そこからすぐだった。物音ひとつしない家だった。とりあえずシャワーを借りて、仁王くんの服を着た。仁王くんの部屋に入って思ったのは、あまりにも整然としてるな、くらいだった。
「家、誰もいないの?」
 私がそう聞くと、仁王くんは少し意地の悪い顔でにやりと笑って私の頬を撫でた。仁王くんは、たぶん、私をからかいたかっただけなんだと思う。真面目で通っていた私だから、きっとあたふたすると思ったんだろう。だけど、仁王くんの部屋は、いくら整然としていても仁王くんのにおいでいっぱいになっていて、私はそのにおいにずいぶんと酔っていたみたいだ。それまでの雨のにおいなんて比じゃないくらいに。普段の私なら決してしなかっただろう。ただ、そのときだけは、私は、仁王くんのように、仁王くんを挑発するように笑った。
 私たちは、たったそれだけの偶然で、単なるクラスメートであることをやめた。あまりにも些細だった。事の流れだけ聞くとまるでありきたりな漫画のようだ。あまりにも簡単で平凡な流れだったと思う。
 漫画のような始まりだけど、仁王くんは私に愛をささやくことなんてなかったし、私も仁王くんに愛を求めることもしなかった。それでも、私たちは、というか少なくとも私は、この爛れた関係に居心地の良さを感じてしまったのだ。

 私と仁王くんの関係は、三年生になった今も続いている。仁王くんはいつのまにかレギュラーになっていた。私は相変わらず真面目に見える普通の子だった。テニス部のレギュラーと関係のある女子は、大抵なんらかの嫌がらせを受けるものらしい。だけど、私と仁王くんはあまりにも違う世界に住んでるように見えるみたいで、私は相変わらず、平凡な毎日を送っている。好きな者同士で付き合ってるわけでもないから、特に学校で話をするわけでもなく、ただ、こういった時だけメールして、落ち合っているんだから、まぁばれなくても不思議ではなかったし、万一こんなことでいじめられようものなら、すぐさま仁王くんとの関係は終わっていたと思う。別に他のおもしろそうな男の子と遊べばいいだけなのだから。私はたぶん、仁王くんより淡白で節操がない。

 仁王くんは意外に律義で、その日以降、私以外とこういった関係を築いていないらしかった。その世界の快感を知っていたにも関わらず、お昼休みのテニス部への告白タイムで告白してきた女の子全員を断り続けている。理由は、テニスに集中したいから、とのことらしいけど、彼がたったそれだけの理由で断り続けるとは思えなかった。彼がテニスをいかに愛しているかは、たまたま遠目で見た練習中の顔をみればよくわかる。だけど、彼は器用な男だから、テニスだけで精いっぱいになるとは思えない。たぶん、彼は単に可愛く愛を欲しがる女の子が面倒なだけなんだろう。

、まだやりたりんのけ?えっちやのう。」
 ぼーっとしていたら、仁王くんに私の手を掴まれた。寝起き特有の声を出しながら、よくそんなに素早く動けるものだ。さすがテニス部、ってことなのか。
「違うよ。仁王くんが相手してくれないから、勝手に遊んでただけ。」
「なら名前で呼んでくれればすぐさま起きちゃるきに。」
 チューでもいいぜよ、とか仁王くんは付け足してくる。仁王くんはたまにこうやって恋人ごっこを求めてくる。私たちには愛も恋もないのに、空しくないんだろうか。こんなときは話題を変えるに限る。
「仁王くん、そういえば最近テニス部の練習減らして、私と遊んでばっかだけど大丈夫なの?」
「いや、。俺、2カ月くらい前に引退したぜよ……。」
 そうなんだー、とか言ったら、案外真剣にしょんぼり拗ねる仁王くんは、結構可愛い。テニス部がいつ引退するかなんて、私が知ってるわけないじゃない。私は拗ねた仁王くんの頭をわしゃわしゃ撫でて、とりあえず機嫌をうかがうのだ。