苦しいときは、どういうわけか、色鮮やかな世界に住んでいるはずなのに、きちんと見えているはずなのに、まるで曇天の日のような彩度のない世界になる。私にだけ、糸でもからまっているのだろうか。毎日が止まっているかのように進む。そうこうしている間に世界はどんどん進んで行って、私は置いていかれる。私も他の人と同じように毎日を精いっぱい生きているはずなのに。
 私が悩むときは、そうやってもがいている間にどうしようもなくなっていることが多い。

 生徒会の仕事はあまりに膨大だ。超人跡部(と私が密かに思っている)は、確かにすごい。彼は、この忙しい生徒会の会長をしながら、あの無駄に部員数の多いテニス部の部長も1年から兼任しているし、成績だってトップクラスだ。テニスも強いらしいことは、すでにこの学校では常識のように扱われる。彼はまさにキングに相応しい人物だろう。
 彼は確かにキングだ。人の上に立つのにふさわしい人間だ。ただ、それがすべての人に幸せを与えるとは限らない。その最たる例が私だと思う。彼は優秀で、なんにでも意欲的だ。意欲的すぎるのだ。彼が生徒会に入ってから、生徒会の仕事は膨大な量になった。彼が生徒会長になってからの生徒会しか私にはわからないが、過去の資料を見ればすぐわかる。今までにないほどの量だということが。負担は彼だけにのしかかるわけではない。他の役員にものしかかるのだ。跡部君にとって取るに足らない量でも、他の人からしたら膨大なのだ。彼が努力家なのは知っている。だけど、それがすべてのひとにできるかと言えばそうではないのだ。生徒会に入ったものの、その仕事の量に逃げ出す人も実際、少人数ながらいる。彼らの言い分は甘えとはいえ、その気持ちはわかる。私だって逃げたい。だってそのしわ寄せは、いつだって私だ。テニス部部長まで兼任している超人跡部ではない。

 すでに7時を回って、ようやく今日の私の仕事が一段落ついた。帰る準備をした後、足早に職員室に行って先生に書類を渡す。先生も疲れた顔で、「悪いな」と笑顔で私の書類を受け取る。大人は偉大だ。私も大人になれば今以上の負荷を感じながらも顔に張り付いた笑みをこぼして生きなければいけないのだろうか。とにかく早く帰ろう。疲れた。さっさとお風呂に入って寝たい。

!」
 また仕事か、とうんざり後ろを振り向けば忍足君だ。忍足君なら仕事じゃない。私は少しほっとした。
「どうしたの?こんな時間まで。」
「それはこっちのセリフや。俺は自主練やったけど、は委員会か?もう帰るやろ?一緒に帰ろ。」
 私は頷いて、忍足君に承諾を伝えた。
 忍足君も熱心だと思う。こんな時間まで自主練をしてるんだから。テニス部はなんだかんだ言って、熱心な人の集まりなんだろうな。特にレギュラー陣は。

「って、聞いてた?。」
「あ、ごめん。どうでもいい話だと思って聞いてなかった。」
「ひどいわー。傷つくわー。」
 忍足君は、なんだかんだで優しい。ちょっとぼーっとしてても、許してくれる。これは、彼が怪しげな関西人だからなのか、彼自身のもつ、不思議な雰囲気なせいなのかは、私には判断がつかない。

「だからな。跡部が、のこと褒めてたで。あいつ、めったに人のこと褒めよらへんのに、はようやる言うてたんやで。」
「あー。そうなんだー。」
 跡部君の名前が出たから、無意識に聞かなかったんだろう。たとえいくら褒められたとしても、私の負担は減らないし、いまもう限界に達しそうなのもどうしようもない。褒められたぐらいでどうにかなる事態は、当の昔に過ぎ去ったのだ。
「でもな、跡部の望むレベルってアホみたいに高いやろ?それをこなすんは、男でも大変やのに、女の子ならなおさら大変やと思うねん。無理なら無理って言いや。言ってええんやで。」
 私が、跡部君のことばを聞いて、顔を凍らせたことに気づいてしまったんだろうか。急に私のフォローをするなんて。
「あんな、ずっと言いたかってん。もっと弱音吐いてもええねんで。聞くぐらいしかできひんかもしれんけど、できる限り力なりたいって思てんねんで。」
 そのことばはありがたいと思うけれど、どう答えればいいかわからない。限りなく正しい正解は、笑顔でありがとうを伝えることだろう。だけど、それは、単に流してるだけだし、真剣に言ってくれた忍足君に失礼だと思う。だけど、今の私の頭ではどうしても答えはまとまらない。
 少しの沈黙の後で、小さな声で、ありがとう、とだけ呟いた。呟くので精いっぱいで、どんな顔を自分がしているのか、私にはわからなかった。

「まぁ、そんな辛い話よりも自分のパンティー見せてもろたほうが嬉しいけどな。」
 重苦しい雰囲気に耐えかねたのか、私に遠慮してなのか、明るい声で突拍子もないことを言う。
「馬鹿だよね。忍足君、ほんと馬鹿だよね。さっきちょっと見直したのに。」
「馬鹿って言わんといて。愛のあるアホにしといてくれる?傷つくから。ついでに今の発言、見直すも、惚れ直すに訂正しといて。」
 誰がそんな訂正するか、と忍足君に軽く蹴りをいれた。私は久々に少しだけ、笑った。

空では星が輝いていた