「ねぇ、もうストリートファイトなんてやめてよ。」

 さっきセットしたちゃんこ鍋はまだ煮えていない。そんな鍋を横目に、私はできるだけ冷静に、エドモンドの目を見ながら言った。彼の答えは決まっているのに言わずにはいられなかった。
 世界巡業と称して、周りの制止も聞かずに出て行った彼が、試合のために久々に日本に帰ってきた。もちろんそれは、取組のために帰ってきたわけではなく、ストリートファイトの試合のために帰ってきたのだ。

 彼のストリートファイトのホームは、もちろんこの日本で、ついでにいえば、彼がお世話になった加富根湯だ。閑古鳥の鳴く加富根湯のために土俵を作るだなんて言いだして、頭がおかしくなったのかと思った。けれど、意外にもそれは案外すんなり納得のいくような形にできあがったらしかった。らしい、というのは、その土俵はもちろん男湯にできてしまったので、私は写真でしか見ることができないからだ。女の人が対戦相手だったらどうするんだろうか。それとも、ストリートファイトは男女別なんだろうか。さっぱりわからない。男女一緒だったら、彼は、女の人とも戦ってしまうのだろうか。それは見たくない。やっぱり相撲のほうが彼にはあってるし、私も相撲の方が好きだ。ストリートファイトをろくに知らないで言うのもなんだけど。
 私は、エドモンドの、相撲に対する真摯な態度と、愛と、律義なところが、特に彼のいいところだと思っている。彼の相撲に対する真摯な態度と愛は、普通の日本人とはかけ離れている。だから、角界に好かれていないし、むしろ嫌がらせまで受けて、本来ならとっくに横綱だろうに、今もまだ、張出大関のままだ。それでも、彼は相撲を愛することをやめない。もっとたくさんの人に相撲の良さを知ってほしいと、ストリートファイトまで始めて、相撲を世界に広めようとする。だけど、私は、そこまでしなくてもいいんじゃないか、なんで彼だけがこんなに頑張らないといけないのか、と思ってしまう。

「わしは、ワールドに相撲の素晴らしさを「知ってる。それでも、やめてほしいと思うの。ねえ、他の方法を、一緒に考えようよ。」

 エドモンドのことばを遮って、私はもう一度彼を見つめながら言った。彼は、私をじっと見ている。
 もう、私たちはおしまいになってしまうかもしれない。本来なら、彼がこんなにも愛して相撲のことを思って頑張っているんだから、応援するのが普通だろう。それができた女だろう。どんな男のひとでも求める女性はそういったタイプだろう。私みたいに自分のしたいことに口を出されて喜ぶようなひとなんていない。だけど、私は言わずにはいられない。ストリートファイトがいかに相撲の良さを世界に伝えたとしても、彼が傷つくなら、私には不必要なことなのだ。
 私がそこまで愛している彼に、どうして別れを覚悟してまで、彼に忠告するのか。それは、小耳にはさんだ情報があるからだ。ストリートファイターを、何とかとかいう犯罪組織が拉致して洗脳し、犯罪に使っているらしい、と。
 もしかしたら、都市伝説に近いものなのかもしれない。そんな組織が現実に存在するなんて、一小市民の私には想像もつかない。だけど、エドモンドがストリートファイトなんて言い出さなかったら、ストリートファイトだって私にとっては都市伝説に近かったはずだ。そのストリートファイトが存在するなら、怪しげな組織があるかもしれないし、その怪しげな組織が強い人たちを洗脳して犯罪に使ってる可能性だってあるかもしれないのだ。桶屋が儲かる論法かもしれないけど、私は無い頭を使って必死に考えたのだ。だって、彼は、一見無骨に見えるけれど、実際は優しくて一生懸命で。そんな彼を、そんな意味不明なものに奪われてしまいたくない。そんな意味不明なものに近づく可能性があるなんて信じたくない。いつだって私のそばにいてほしい。

「ねぇ。相撲をさ、世界に広める方法は、なにもストリートファイトだけじゃないでしょう?例えばオリンピック競技になるように頑張るとかさ。」

 我ながら適当な案だ。彼がストリートファイトをやめてくれるためならどんな案だって出そう。思いつくままに。私はなにも彼の愛する相撲が嫌いなわけではないのだから。むしろ、相撲をする彼は、正直どんな時よりも男らしくてかっこいいと思う。彼の加富根湯の土俵が、もしも混浴で、相撲をしてくれるとしたら、どんなにか心躍ることだろう。試合の熱気とお風呂の湯気で、彼の取組が始まる前にのぼせてしまうかもしれない。彼の取組まで少し外でコーヒー牛乳でも飲んで、ゆっくりしてから観に行ったって良い。――まぁ、そんな場所で取組ができるようなら、彼は今頃横綱だろうけど。

がストリートファイトを反対する理由は、なんとなくわかるわい。じゃがのう、ストリートファイトで優勝して、を世界一強い男の嫁さんにしたいんじゃ。」

 エドモンドはそう言って、またちゃんこ鍋をつつき始めた。いつのまにか、すでに食べごろで、ぐつぐつ煮えている。エドモンドのちゃんこ鍋は、ほっぺたが落ちそうなくらいおいしい。エドモンドは普通に「あーでもオリンピックもええのう。優勝したら次はオリンピックを……」なんて、普通の人なら独り言の範疇にはいらない声量で独り言を言う。だけど、私はいまそれどころじゃない。ちゃんこ鍋の熱気とさらっと言われたプロポーズのせいで、一瞬でのぼせてしまった。

彼、相撲、私。