「おはよう。渋沢くん、早いね。」
「おはよう。あまり時間ぎりぎりになるのは好きじゃないんだ。」
 渋沢くんは、にこりと爽やかに笑う。
 7月29日。夏もまだまだこれからという日の朝っぱらから、私と渋沢くんは花壇の前ご対面だ。朝だというのにそんなこともお構いなしの気温だから、きっと今日も本当に暑くなるだろう。制服のスカートは太ももにぺったりとくっつくし、制汗スプレーもいくらかは汗を抑えるものの、顔に振り掛けるわけにもいかないので、結局汗の不快感はそのままだ。
 一方渋沢くんは、朝練の区切りがいったんついてからきたんだろう。ジャージにTシャツだ。熱いこの時期は、そっちのほうがよさそうだ。夏服とはいえ、制服は夏に向かない。暑い。渋沢くんは私に比べて涼しげな顔をしながら、ホースを取りに行った。
 それにしても、私のクラスの担任はいかれている。いかれているとしか思えない。毎年彼の担任するクラスは朝顔を植えさせられ、夏休みはその世話に駆り出されるのだ。ありえない。なんで朝顔なんだ。朝顔なんて実もないし、朝にしか咲かないし、なんにも特にならない。噂によると、夏休みに自分達教師だけが事務仕事に駆り出されるから、その復讐というのだ。ありえない。真実かどうかは不明だけれど、それでも朝顔の水やりは事実、あるのだ。それだけで十分鬱陶しい教師と言えるだろう。しかも、よりによって地植え。夏は大抵実家に帰るというのにこの鬼の所業。一応クラスで持ち回りが決まるけれど、実際は理不尽が許されない体育会の部員と、学校から近いせいで水やり可能な人間が代わりに水やりをする羽目になるのだ。渋沢くんは、哀れな前者。私は、悲壮な後者だ。

「三上くんは?今日水やり当番だったはずなのに。さぼってるの?」
「あいつは朝が弱くてな。夕方に水やりをするつもりみたいなんだ。」
 渋沢くんはちょっと苦笑しながら、ホースで水を撒く。唯一の見どころである花さえ放棄するほど朝に弱いのか、三上くんは。
 私は、渋沢くんが水を撒き終わるのを待つのもまどろっこしくて、渋沢くんが水をあげたところから、草の小さな芽を摘んでいく。たまに大きい草もある。たぶん草むしりまでするのは、みんな面倒なんだろう。私がこまめに摘み取るにしても、取りきれない分が大きい草に育っているんだと思う。人の目を盗んで密かにすくすく育つ姿は、まるで恋心のようだ。まあ恋と違ってこいつらは花が咲く前に摘まれるわけなんだけど。

「あ。そういえば、おめでとう、渋沢くん。」
「え?何を突然言っているんだ?」
「いや、渋沢くんって今日誕生日なんでしょ?」
 なんで知っているんだ、の声と一緒に渋沢くんは、私の方へ向いた。ホースと一緒に。ついでに言えばホースの口もこっちに向いた。

「本当にすまない!!」
「いいよー。暑いからちょうどいいし。」
 渋沢くんはものすごい勢いで私に謝った。私は渋沢くんのおかげでずぶぬれだ。
「あの、すまない。まだ使ってないからきれいだし、タオル、使ってくれ。」
 おずおずと渋沢くんは自分のタオルを差し出してくる。
「大丈夫だよ。ありがとう。それより、なんかジュースでもおごってあげる!」
 せっかくの誕生日にこんなことに駆りだされるなんてあまりにも可哀想だし。お小遣い日まであと少しだし、構わない。
「いや、水までかけてそんなもらえない。それより頼むからタオルを使ってくれ。」
 渋沢くんは真っ赤になりながら私にタオルを無理やりかける。あぁ、そうか。透けてたのか。それにしても渋沢くんは純情だ。
「私の透けブラが誕生日プレゼントに欲しかったなんて、渋沢くん、意外に変態だね。」
「っな!!!!!」
「じゃあ渋沢くん、タオルのお礼にお茶でも買ってきてあげよう。」
 はははは、と私は渋沢くんにお茶を買いに行く。意外に渋沢くんも純情なんだなぁ。あんなに大人っぽいのに、なんて思いながら。