私は、誰よりもサッカーが嫌いだ。サッカーが嫌いというか、むしろ憎い。テレビで映ればすぐさまチャンネルを変えるし、サッカーの文字が見たくないために、スポーツ新聞も読めない。それくらい嫌いなのだ。吐き気がする。
 それなのに、どうして、世の中のおじさんは電車でスポーツ新聞を開くのだろう。
 どうしてつり革広告なんてあるのだろう。
 私は、ひどい眩暈を起こしながら、窓の外を見る。外の暗さで鏡のような窓に私の真っ青な顔が映る。

 私は、かつて誰よりもサッカーを愛していた。たぶん、そこらへんのひとよりも、サッカーが好きだった。私の母校はサッカーも強かったし、サッカー部の試合もよく観に行った。
 一緒に試合を観に行く友達は、みんな、サッカー部員が好きだった。私は、サッカーが好きだった。それは、神に誓ってもいい。友達にとって大事だったのは、試合で活躍する三上なり藤代なり渋沢であり、その試合の流れなどどうでもよかったみたいだった。勝っても負けても、みんな誰それがかっこいいと人名は違えど、言っていた。
 そんな中で、私は自分の母校が強すぎるせいで、むしろ相手チームばかり応援していたように思う。強すぎるとおもしろくないのだ。プロの試合でも、弱い方を応援し、どちらも同程度の強さであれば、アウェー側を応援していたように思う。どのチーム、ではなく、サッカーの試合さえ面白ければ、それでよかった。あのころの私にとって一番のエンターテイメントだった。

 毎回サッカー部の試合を観に行けば、どうやらさすがに部員も私たちを覚えたようだった。その上、私は小遣いを使ってJ1やらJ2やら観に行っていたから、J2の試合のときはたまにスタジアムで部員と出会うこともあった。教室で渋沢が私に個人的に初めて話しかけてきたのも、そういった理由だった。

さんは、サッカーが好きなのか?昨日スタジアムで見かけたが。」
「渋沢くんも観に行ってたの?おもしろかったね、あの試合。」

 そんな感じで、私たちは楽しくサッカー談義に花を咲かせたように思う。友達と話していても、サッカー自体の話は語れなくて欲求不満だった私にとって、渋沢は恰好の話し相手になった。そのうち、三上とも友人になり、私たち三人は集まればサッカーの話をした。二人にはやっぱり贔屓のチームや選手がいて、質は違えど、私の友人たちと同じようにいくらかのミーハー心が見え隠れしていたように思う。私は相変わらずサッカー自体を愛して話していた。そんな私を三上はサッカーの変態と称した。失礼なやつである。
 私は私のサッカー愛のために母校を応援することは滅多になかったけれど、それを三上は特段気にしなかった。というか、三上は、私から応援されるなんて不名誉をもらいたくない、とか言っていた。本当に失礼なやつである。
 一方、渋沢は私と二人きりのとき、
「俺たちは負けないが、たまには応援してほしい。さんに応援してもらえたらもっと強くなれると思う。」
と、言っていた。意外に気障な男だった。彼はたまに無意識に気障だった。普段の固すぎる彼とのギャップもあって、いつの間にか私は渋沢が好きになっていた。渋沢も、サッカー自体を愛する私をいつの間にか好きになっていた。

 そう、私と渋沢は言うなればサッカーが結びつけたようなものだった。付き合ってからも私たちの会話はほとんどサッカーの話だけだった。デートもスタジアムでサッカー観戦だったし、渋沢が部活で忙しくても別段気にすることもなかった。キスすることも、手を繋ぐことも無かった。私たちが付き合っていたことを知っている人は三上ぐらいだった。それくらい、何も変わらなかった。
 そんな年月を何年も続けた。今から思えば、青春の浪費だ。無駄遣いだ。
 高校に入ってから、そんな変化のない日々に私が飽きてきた。渋沢は相変わらず優しかったけれど、それでは物足りなかった。だけど、渋沢にそれ以上を求めるのは無理な気がした。彼が何のことが好きなのか、よくわからなくなってしまった。
 大学入学を機に別れを切り出したのは私だ。私は私たちの愛するサッカーを徐々に憎み始めている自分に気づいてしまったのだ。渋沢は、えらく傷ついていた。それでも、私はサッカーが嫌いになる自分を止めたかった。渋沢より、サッカーを選んだのだ。

 大学では、いつのまにかサッカーを避けるようになった。サッカー部の弱い大学だったし、サークルはサッカーと名がつくばかりでサッカーなどしていなかった。私は、渋沢よりサッカーを選んだのに、サッカーを憎んでいた。どんどん嫌いになってから、やっと、私がサッカーを嫌いになったのは、渋沢が私を見ないからだと気が付いた。
 渋沢に復縁を求めようと電話をかけても、もうすでに遅かった。彼と別れて2年の時が流れていた。彼はプロで、すでに日本の守護神として注目され始めていた。私などには、到底手の届くひとではなくなっていたのだ。私は、それに気づいてから、もう、サッカーの文字を見るのも嫌になったのだ。

 しかし、世の中は無情だ。いや、もしかしたらこれは渋沢の復讐かもしれない。こんなにも傷ついた私を、許してなどくれないのだ。私は、ただ、少し間違えただけなのに。
 電車のつり革広告も、おじさんたちの新聞の一面にも、「渋沢、誕生日に極秘結婚?!相手は一般女性!」の文字。
 もしかしたら、それは私だったのかもしれないのに。
 思えば思うほど、私はサッカーが憎くなる。惨めになる。
 いっそ、渋沢の選手生命が絶たれればよかったのに。そうすれば、私の苦しみもこんなにひどくはなかっただろう。もしかしたら、渋沢の愛するその人は、渋沢ではなく、日本の守護神を愛してるのかもしれない。それならば、私と共にいる方が幸せになれるだろう。私は、渋沢を愛しているのだから。
 醜すぎる自分の考えを、私はどうすることもできない。想いは溢れるだけだ。