夕焼けが窓を通って廊下を赤で満たしている。そろそろ下校時刻になりそうな時間で、遠くからそれぞれ部活が終わることを告げるあいさつが聞こえ、吹奏楽部なんかは練習の音すら聞こえなくなっている。そんな廊下を、私は泳ぐように歩く。噂のオリハライザヤを今日も探しているのだ。用件はただひとつ。シズちゃんをそっとしてあげてほしいと伝えることだ。

 シズちゃんは、真面目系不器用馬鹿である。幼馴染の私がそう言うんだから間違いない。
 シズちゃんは昔っからどちらかというと、本人が望む望まない関係なく、ヤンチャな部類に入る。性格がおとなしくても不良、なんてよくある話。シズちゃんもそれに入るんだろう。まぁ、喧嘩……というか、力が強いせいもあるけど、不良じゃなければ、金髪にしないと思う。「喧嘩をふっかけられないために金髪にしたんだ」みたいなことを、本人が言ってた気もするけど、そんなことをするから喧嘩ばっかり売られるんだ。だけど、シズちゃんは聞かない。シズちゃんはおとなしいくせに自分の信じたことを曲げない頑固者でもあるのだ。
 そんなヤンチャなシズちゃんも、高校生になれば落ち着くかなぁと思っていた私が馬鹿でした。高校では、どういうわけか中学以上に喧嘩三昧。喧嘩しない日は無いんじゃないかと思うくらい。岸谷君いわく、オリハライザヤという人がちょっかいを出してるせいらしい。どうやら学年で知らない人はいないくらい有名らしいけれど、私はまだどのひとか認識できていない。みんな知ってるのに私だけが知らない。髪が黒いくらいしかわからない。シズちゃんと喧嘩をしているところは遠目で見たことがあるけれど、遠すぎて件のオリハライザヤくんの顔は点である。あまりにもシズちゃんの喧嘩が多すぎて心配で、オリハライザヤたる人物は誰かと聞けば、「本当にこの学園に一年通ったのか。」だの、「本当に来神の生徒なのか。」だの大層失礼なことばばかり投げかけられてしまう。こんなこと、中学の時、シズちゃんファンに机の中を味噌だらけにされたとき以来の屈辱だ。まぁ、味噌だらけにされたときは流石にちょっと泣きそうだったけれど(だって教科書味噌まみれ……)、そいつらは悪意をもって私に屈辱を与えたんだから、それなりのお返しができた。でも、今回は悪意なく呆れのみで返してくるので、なんにもお返しできない。とんだ屈辱損だ。
 とにかく、私は屈辱にまみれながらもオリハライザヤを探している。大抵タッチの差で教室にはいない。もしかしたら、タッチの差だと思っているのは私だけで、授業に出てないのかもしれないけれど。シズちゃんには内緒で、シズちゃんと険悪なオリハライザヤに会ってみたいのだ。そして、叶うことならお願いをしたい。シズちゃんを喧嘩やそういった不穏なことに巻き込まないで、と。
 シズちゃんは、最初に述べた通り、真面目系不器用馬鹿だ。だから、喧嘩を売られたら買ってしまう。スルーするなんて器用なことはできない。真面目に喧嘩を買ってあげてしまう。本当に馬鹿だ。シズちゃんはその強靭な肉体に反して、とても繊細な精神を持っている。喧嘩には負けないけれど、そのたびに心に傷が増えていく。自分へのコンプレックスが強くなっていく。だから私は小さい時と同じように、ずっとシズちゃんには勝ち続けなければならない。そして、誰よりも繊細で甘え下手なシズちゃんは、私が守らないといけない。

 それにしても、これだけ毎日探して会えないなんて、本当はみんなの共同幻想ではないかと思う。帰宅部のわりに家に帰らず、毎日毎日シズちゃんにバレないようにオリハライザヤくんを探している。いっそ、オリハラ部だ。以前、岸谷くんに、
「もしかしたら、私は帰宅部じゃなくてオリハラ部かもしれない。オリハライザヤはシズちゃん部。シズちゃんはオリハラ部。二人はもしかして相思相愛だから、邪魔な私はオリハライザヤに会えないのかも。」
と、愚痴をこぼした。愚痴というか、弱音だ。そんな私を知ってか知らずか、
「それ、二人に聞かれたら、さんの命はないと思うよ。死んだ人間は僕でも助けられないからね。」
と、まさに顔面蒼白といった感じで答えた。弱音をフォローしてほしかったのに、本当にひどい友人だ。

さん。」
 唐突に後ろから爽やかな声が聞こえた。こんな変哲もない寂しげな廊下で聞くよりも、さっきまで聞こえていた部活の声に混じっているほうがよほど相応しい声だ。私は、驚きのあまり、すぐさま振り返れなかった。噂によると、かのオリハライザヤは容姿端麗さわやかボイスだと聞いていたのだ。もしかしたら、私が探し求めた伝説の、半ば妖精かなにかで私は見ることのできない類かと思い始めていたオリハライザヤではないか。期待を抑えつつ、ゆっくりと振り返る。何か鈍い音とともに何かしらかが吹っ飛んだ残像は見えたものの、そこには誰もいなかった。実際は遠くからシズちゃんらしき人がすごい勢いで走ってきていて、ものの数秒で私の真ん前に着いた。
「平和島静雄くん、君さ、俺がか弱い人間だって忘れてない?」
 背後から、不機嫌そうな声が聞こえて、当初の目的を思い出した。たぶん、私の後ろで倒れているだろう人物は、私が会いたいと願っていたオリハライザヤ本人だ。振り返ろうとする私をシズちゃんはすぐさま胸に押し付けた。
、後ろ見んな。ノミ蟲のくせぇのがうつる。」
 男の子の力ってこんなに強いものなんだろうか。シズちゃんだからなのだろうか。私にはよくわからないけれど、後ろを向きたい私なんてものともせずに、オリハライザヤがいるであろう空間の方に顔を向けたまま、私を抑えている。臨戦態勢といった感じで、普通の人なら毛穴が開くような感覚に見舞われるらしい。子どものころから一緒の私は慣れっこでわからない。
 そんな緊迫した状態でも下校を知らせる放送は、3人でにぎやかになった廊下に鳴り響く。
「シズちゃん、もう下校時刻だから、喧嘩はまた明日ね!オリハラくんも。」
、おまえたまには空気つうもんを読めよ。」
 オリハライザヤは笑う。
「いやいや、ほんと、さんが言う通り、喧嘩はまた明日だね。下校時刻は守らないと。今日はおもしろい収穫があったし。じゃあ、バイバイ、さん、シズちゃん。」
「おまえが下校時刻とか守る人間じゃねぇのはわかってんだよノミ蟲!!!あとシズちゃんって呼ぶな!!!!!」
 シズちゃんの怒号が鳴り響く廊下は、少し震えてる気がした。どうやら、オリハライザヤくんを追いかける気がないらしいシズちゃんは、「わりぃ」と小さな謝罪を呟いて、私をやっと解放した。振り向いても、もうそこには誰もいなかった。

 後日、岸谷くんの口から、シズちゃんが私を守るためにオリハライザヤくんから遠ざけてくれていると知った。守っているつもりが守られていたのだ。どうすればまた、シズちゃんを守る立場に戻れるのか。


君を追い越す成長速度