「俺、潔子さんより、お前が好きだ。」
 学校の裏庭で田中が突然言い出した。周りの木々も田中の発言に驚いているかのようにざわつく。
「え、田中?な、何言ってんの?」
「だから、俺は!が好きだっつってんだよ。一回で聞けよ、お前の髪の毛むしんぞ!」
「意味わかんない。田中のくせに。」
 田中の顔はゆでだこみたいに真っ赤だ。私も負けず劣らず真っ赤な顔のくせに、可愛くないことしか口から出ない。いつの間にか私と田中の周りには人だかりができていて、おめでとーおめでとー!と口々に私たちを祝福する。潔子さんが、笑顔で私と田中を祝福する。よく見ればクラスメートどころの話じゃない。学校の生徒全員いるんじゃないかと思うほどだし、お母さんもお父さんも、家族みんなそろっている。みんな、私たちを祝ってる。田中はみんなに挙式はどこでするんだと聞かれたりでお祭り騒ぎだ。もうなんだかこれは結婚式のようだ。上から紙ふぶきまで降ってきて、何が何だかわからない。白に黄色にピンクに青に。私が紙ふぶきに気をとられていると、田中が私の手を握る。田中の手は温かい。田中を見ると、いつのまにかタキシードだ。田中、タキシードびっくりするほど似合わないじゃない。我慢できずに笑ってしまう。そんな私を田中は力いっぱい抱きしめて、
、ウェディングドレス、に、似合いすぎ!!」
 顔を真っ赤にして大声で言う。田中、待って、私、田中のこと好きなんて言ってないし、結婚なんてまだ早いよ。そう思って腕を振り払おうとしたら、間違ってテーブルの上に置いてあったグラスが落ちて砕け散る。あぁ、もうなんの音なのピーピーうるさい。この聞き慣れた憎き音は――。

 ――目覚ましの音だったのか。なんだ今日の夢は。起きてそうそう顔が真っ赤になるなんて、生まれて初めてだ。夢で田中に抱きしめられた感触が、温もりが、まだリアルに残ってる。ものすごく恥ずかしい。
 なんとか顔の火照りを覚ましてから、制服に着替える。丈は少し短め。潔子さんを意識して、いつだってタイツだ。悲しきかな、田中は潔子さんが大好きだ。そして、私は潔子さんには全く敵わない。でも、逆に言えば好みがわかってるってことだから、私は潔子さんを意識して、潔子さんによく似るよう気を付けている。潔子さんは田中のこと、眼中にないのが救いだ。
 洗面所で歯を磨いて、顔を洗う。火照りが覚めてるとはいえ、冷たい水が気持ちいい。朝の夢もやっと頭から抜けてきた。さっさと朝ごはんを食べて学校に行こう。



 一時間目は古典か。私はすこし熱血な古典の先生があまり好きじゃない。古典なんて何書いてるかわからないし。わかって意味あるのかなって思うし。ズザラズザリズヌザルネザレザレの呪文が一体将来なんの役に立つのか。なんか召喚でもできそうだと、殺意を持ちながら覚えた記憶しかない。いや、もしかしたらあの時の殺意と呪文で何か召喚できてたのかもしれない。私にはわからないけど、何かが。
 それにしても、朝からあの夢が相変わらず頭を離れなくて、田中に軽くおはようぐらいしか言えなかった。田中のほうなんて見れない。窓の外を見れば、綺麗な青空。教科書なんて破り捨てて外で昼寝したいぐらいだ。あ、結構ワイルドじゃないかな、今の私。
ー!次の歌、読んでみろ。」
 絶賛意識飛ばし中だったのに、あてられて一瞬惑うものの、一応それっぽいところを読んでみる。
「門たてて、戸もさしたるをいづくゆか、妹が入り来て夢に見えつる」
「違う。これは万葉集の歌だから、五七調でよむんだ。テストだすからな!万葉集は五七調。だから、『門たてて戸もさしたるを』で区切るんだ。この『を』は逆接だからなー。あと、『ゆめ』じゃない。『いめ』ってよむんだ。『いめ』のことは後で説明する。」
 先生が黒板に「万葉集 五七調」と汚い字で書きながら説明する。黒板に一度声があたるせいか、いつもより声が小さく聞こえる気がする。もしかしたら、私に興味のない内容だからかもしれない。私にとって、これが五七調だかなんだか関係ないし。それでも一応、私のノートにも「万葉集 五七調」と書いておく。田中がテスト前になるとノートを借りにくることを考慮しているから、少しだけいつもよりきれいな字だ。
「現代語訳を言う前に。乙女心のわからなさそうな田中!夢に出てきた人物をどう思う?」
 突然あてられた田中は、おい、なんで俺が乙女心がわからねぇんだよと反論している。いや、ここは私も先生に賛成だよ。
「田中が全然答えようとしないから、今こっそり笑ってた上に、上手によめなかった!挽回チャンスだ、お前はどう思う?」
「え、自分が相手を思ってるからじゃないですか。」
 先生はニマニマ笑いながらうん、そういう答えが欲しかったんだとでも言いたげだ。腹立たしいけど、「夢」のことばのせいで、今朝の夢を思い出してまたちょっと顔が赤くなりそうになった。
「そう、今はそういう考え方が主流だな。しかしだ。これは一三〇〇年以上前の話だから、そうとは限らないんだ。この歌の場合は、相手が思ってるから、相手が夢に出るんだ。」
 先生はまた後ろを向いて現代語訳を書いていく。
「門を閉め戸も閉めているのに、どこからか、あなたが入ってきて夢に見える」
 夢、という字で私の手が一瞬止まった。
「この歌は、門も戸も閉めているのに、相手の気持ちが入ってきて相手が夢に見えるっていう歌だ。相手が本当に来てるわけじゃないぞ。想い人が入って来てたら寝てる場合じゃないからなー。じゃあ細かいところみていくぞー。」
 細かいところはこの際どうでもいい。相手が思うから夢に出るという話が重要だ。先生の声どころか授業が全く身に入らない。今朝の夢の内容と、今日の授業の内容と。そこには関連性なんて何もない。わかってる。それなのに、今日はなんだかどうしても、無関係には思えない。たかが夢の話なのに。



 田中は、初対面の人にはメンチ切るし、たまにいつの時代の不良なの?って思うこもある。本当は不良じゃなくって、単に初対面の人を警戒してるだけなんだけど。初対面の人はたぶん、ものすごくびっくりすると思う。田中の見た目は、不良であり、チンピラであり、ヤンキーだから。
 でも、田中の中身は案外真面目。意外に授業もサボらないし。授業に出てるわりに、ノートを取らない馬鹿な田中は、毎回ノート提出の前に、ぶちぶち文句を言いながら、私のノートを写すはめになるのだ。授業中にノートもとらないでいつも一体何をしてるんだろうか。寝てるわけでもなくて、ずっと前を向いてるのに。本当に謎だ。
 だいたい初対面の人にはあんなに警戒するくせに、一度自分の仲間だと認識するとものすごく大事にするところがちょっとかっこよくて悔しい。バレー部のこと、すごく大事にしてるし、同じ部活の人のこと、尊敬してるんだなっていうのも、話してるとすごくわかるもの。
 こんなにたくさん田中のこと知ってる自分が嫌になる。かっこよく思ってしまうのも嫌だ。私はきっと田中と一番仲が良い。潔子さんだって私ほど田中の事知らないはずだ。でも、私は田中が好きなんじゃなくって、単に潔子さんに憧れてるだけで、田中とは単なる友達なわけで。いつから、私は潔子さんをこんなに意識して、潔子さんみたいになろうと思い始めたんだろうか。あの夢だって本当は、私の――。



 考えをかき消すようにチャイムがなった。よかった、黒板はそんなに進んでいない。またあの先生が無駄話でもしていたんだろう。
「あ。。ちょっと聞きたいことがあんだけど。」
「なに。古典ならわかんないよ、私も。」
 いつも馬鹿みたいにうるさいくせに、すすすっと私の横にくる。いつもならもっと距離があるから、変な感じだ。
「女の子にプレゼントって、どんなんが喜ぶんだ?」
「は?潔子さんに??」
 潔子さんの誕生日でも近いんだろうか?田中は急に真っ赤な顔して首をぶんぶん横に振った。
「ちげぇ。いや、潔子さんに献上したい気持ちはあるけどよ。」
「え、じゃあ誰になの?」
 田中が急に黙った。
 え。もしかして、私に?変に意識してしまう。正夢にでもなるんだろうか。なんだろう、この突拍子もない展開は。
「来週、誕生日。俺のカノジョ。」
 顔を真っ赤にして、指さす先は、教卓真ん前のタナカノカノジョ。
「本人に聞いた方が喜ばれると思うよ。」
 頭の中真っ白だ。絶対私の方があの子より潔子さんに近い。だって、スカートだってあんなに長いじゃない。黒のタイツでもないじゃない。醜い気持ちを隠して笑う。田中をからかう。何を言ってるのか自分でもわからないけど、そのうち田中が「ありがとなー」とか言いながら教室から出て行った。
 とりあえず、働かない頭を落ち着かせるためにノートを書こう。
 汚い字でノートを写していたら、あと一行のところで日直が黒板を消した。

いめにしみゆる

「つらたん」提出:2013.04.14
改題:2013.11.17 作中使用歌歌番号:『万葉集』(巻12・三一一七)